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コラム02/7

 1学期もいよいよ最後の月を迎えました。早いものですね。今月は学期を締めくくる意味で、保育参観、音楽集会などがあります。当園の教育活動の日頃の様子をご覧頂き、理解を深めて頂くとともに、子ども達にも励ましのまなざしを宜しくお願いたします。

 ■勝負、それも人生/ワールドカップ
 このたびのサッカー・ワールドカップの盛り上がりに感化され、にわかサッカーファンになった人は多いのではないでしょうか? という私も試合のある夜はテレビの前に釘付け状態(!) 期末試験を控えた子どもたちにしめしがつかない、とひんしゅくを買っています。
 やはり国家の威信を背負ったチーム同士のぶつかり合いはすごいですね、単なるスポーツという域を超え、国と国との壮絶なバトル、代理戦争という感じすらあり、ハラハラ、ドキドキです。特にお隣の「韓国」の国を挙げての盛り上がり様はすごい。
 勝者の陰に敗者あり
 決勝トーナメントでは勝負がつくまでやるので、当然、一つの試合で必ず勝者と敗者が誕生する。勝ち誇って歓喜の絶頂の勝者・・、対照的に、ガックリとうなだれ、失意のどん底の敗者・・・。そこには、勝負の世界という厳しい現実が演出する対照的な人間模様がある。そして、どちらも胸を打つ。
 人の歴史は戦いの歴史
 こういうと、語弊があるかもしれませんが、人の歴史は実際、戦いの歴史でもある。自らの愛するものの為に、命を懸けて戦ってきたのが人間の歴史。そして、そのような長い歴史で刻まれた潜在意識は私たちのDNAの中にしっかりと遺伝子として組み込まれているのである。それが、今回のワールドカップを幾に、一気にスイッチが入った感じがする。勝つか、負けるか、国家の威信を懸けたその真剣勝負に私たち人間の長い歴史の中で刻まれた本性の血がさわぐのだろう。
 人生のドラマは勝負から
 人は人生の中で、多かれ少なかれ、勝負の場面で生きている。うまくいくか、失敗するか、合格か、不合格か、日の目を見るか、埋もれるか、恋愛成就、はたまた失恋、等々・・、様々な勝負の時にエネルギーを燃やすのが人の常であろう。このような"時"、は良い意味で人生をドラマティックに演出してくれる。もしこの世から全く勝負事がなくなってしまったら、どうなるだろうか? 努力をしてもしなくても、皆同じ、全て平等、では誰も努力をしなくなる。夢も希望もなくなってしまうのではないだろうか。

 勝負を避ける教育現場のきれいごと
 目を教育の現場に向けてみると、どうも平等の意味を誤解し、競争や優劣を決する勝負事をさける風潮がみられるようだ。ある小学校では運動会の競技から、定番たる徒競走やリレーが廃止された。また、テストをしても順位をつけない。はたして、このような環境で「生きる力」の本質である、努力への動機付けや励み、向上心、というものが培われるのだろうか?。はなはだ疑問である。勝負は勝っても負けても良い意味で、多くのことを学び、気づき、成長するためのバネであると思う。勝負ごとを避ける風潮からはひ弱な人間性しか見えてこない。
 真剣に勝負しなくても、何となく生活が流れていく今の日本社会。今回のワールドカップを観戦して、今の日本人はもっともっと勝負にこだわり、勝負すべきだ、と感じた。このままでは、国際社会の競争に勝ち残れるか心配だ。

 幼児期の勝負事/育つ遺伝子のスイッチをON
 幼児期の子どもたちにとっての勝負事は何だろう? 基本的に衣食住が満たされている現代の子たちにとってのそれは、将来性を決する確固たる基礎を培う、ということに尽きる。言うなれば、本来育つ、のびる可能性という遺伝子のスイッチを入れてあげることである。このスイッチがONになるか否かは、のびゆく子たちにとって正に勝負であるといえる。
 たとえば、薄着。当園では、皮膚感覚を鍛えることで、気温の変化に対応でき、丈夫でたくましい体づくりを目指している。
 また、基礎感覚を培う諸活動(体育・音楽・言語など)。これら具体的な活動によらねば、基礎感覚は育たない。幼児期は感覚を鍛える時期、しっかりと導いてあげなければならない。
 これから、人生の本勝負に向かうこどもたちにとって、今はまさに育ちゆく勝負の時であるといえるだろう。