栃木県 二宮町 せんだん幼稚園 理事長コラム

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純なエネルギー
 日々の自由活動の時間では様々なものに興味を持ち、遊び込むこどもたちの様子が見られる。庭の隅の方で、落ち葉をほじくり、ダンゴ虫とりに熱中する子。戦いゴッコのヒーローになりきっているかのような男の子のグループ。庭のサイドでは日本女子バレーの活躍に刺激されたのか、ボールを使ってバレーボールゴッコ(?)が始まった・・。砂場では容器に砂を詰め、型ぬき遊びに熱中する子、素足になって登り棒にしがみつく子・・など、イキイキとした子供達の輝きに心が奪われてしまう。清らかで、ストレートな子供達のエネルギーを感じる。これは自由活動ばかりでなく、全員での発表活動などでもひときわ感じるものだ。クラスみんなでこころを一つにしての合唱や合奏などで感動してしまうのは、ひたむきで一生懸命なこどもたちの純なエネルギーに触れるからだろう。
 教育界では「こころの教育」というスローガンが叫ばれて久しい。しかし一向にその方向性が具体的に見えてこない、と以前のコラムでも書いた。以上のようなこどもたちの純なエネルギーに触れていて、感じることは「こころの教育」とは、教科科目のようにゼロから教育して育てていくものではなく、「本来の純なもの=宝石の原石」が光り輝くように表面の「くもり」を取り除く(=磨いていく)という作業のように思えてくる。どの子も皆、それぞれの宝石の原石をもっているのである。人生経験の乏しい幼児でありながら私達おとなをハッとさせるような「こころの輝き」をすでに発揮している姿にそのようなことを思う。
 こころの山登り
 「こころを磨く」という作業はまた、山登りにも似ている。こころを磨ききる= 気高く、清らかで、穏やかな、深い愛に満ちた「こころ」の状態を獲得することは、全人類に共通の究極の目的(山の頂上)になろう。そこを目的とした人生の歩み方を、私は「こころの山登り」と表現したい。目指す頂上は靄や雲や霧といった「翳り」を突き抜けた輝かしいこころの状態である。それは「気高く、清らか(純真)で穏やかで、深い愛のこころ」である。「仏様のこころ」とも言えようか。こころの教育(人生)とは、結局このような山の頂上を目指して登っていく(磨いていく)道案内のことと思う。頂上へ至る道は様々であり、遠く、険しいかもしれない。山登りであれば天候の良い時ばかりではないであろう。滑りやすい所で転落するかもしれない。しかし様々な困難を乗り越えて頂上を目指していくことが、子どもも大人も変わりなく、すべての人に共通のかけがえのない生き方の姿勢であろう。
私達おとなよりも「欲」という荷が軽いこどもたちのほうが、ずっと高い地点にいたりすることも多い・・・。