栃木県 二宮町 せんだん幼稚園 理事長コラム

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●新年あけましておめでとうございます
 保護者の皆様方には旧年中は多方面でのサポートを頂き誠に有難うございました。心から感謝申し上げます。昨年は園創立50周年という節目の年でした。多くの方々に支えられ、年輪を重ねてきた当せんだん幼稚園、いわば今年は新たな半世紀に向けての出発の年といえましょう。そのような年頭にあたり、せんだん幼稚園に在園するこどもたちが増々健やかに成長していけるよう、職員一同、心機一転、力を合わせてまいる所存です。また、園と家庭はこどもにとって育ちの環境の両輪です。子どもたちの為に保護者の皆様方としっかりと手を携えていきたいと思いますのでどうぞ宜しくお願い申し上げます。
 (お正月雑感)
 ○物に恵まれている、ということ○ 
 実を申せば、趣味として「韓流ドラマ」をよく見る。そこに描かれている様々な人間ドラマの内容は、勿論、作り話であり、現実には到底有りそうにない偶然が重なりあったり、日本での生活感覚からして違和感を感じる場面など、荒削りな感がしないでもない・・が、時に単なる娯楽ドラマの域を超えて、そこに描かれた人の生き方に感銘を受けることがある。
 この正月には「ガラスの靴」というドラマを見た。両親に先立たれ、孤児となった姉妹。さらに姉とはぐれ、交通事故で記憶を失ってしまった妹の逆境の半生を描いた作品である。やがて自分が大財閥の孫であることが判明し、それまでの貧しく苦労が連続した生活から一転、何不自由のない生活環境に変わった彼女が感じたもの、それは
「何でも手に入る、恵まれているって、あまり楽しくない・・」
というものであった。彼女は苦労の多い、逆境の育ちの環境の中でくじけず、常に夢を持ち、コツコツと前向きに努力し、歩んできた。そうして手に入れたささやかなもの(職場など)に喜びと幸福を感じていたのである。
 対照的に彼女と一緒に育てられたもう一人の女性は怠け者で彼女に対してひどい妬みとひがみを持っていた。常に財産や贅沢な生活を求め、固執し、自分が恵まれてない、と不幸を嘆き、ひいてはそれを彼女のせいにして殺害しようとした。しかし結局は獄中の人となった。
 牢獄の面会場で主人公の彼女は言った。「人の幸せというものは、いかに恵まれているかではなく、満足できるかどうかよ。自分に満足できなければ、その人は不幸なの・・」。
 努力しないで手にいれた物(単に恵まれているだけ)は幸福の役には立たない。逆に、努力して手にいれたものは、たとえささやかであっても自分を満足させ、幸福へ導く、ということであろう。