栃木県 二宮町 せんだん幼稚園 理事長コラム

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「同事」
 せんだん幼稚園の母体となった当[芳全寺]は曹洞宗という仏教の宗派に属する寺院である。園の北側にある大きな山門の額銘は「開海禅密」とある。これはどういう意味かというと、閉ざされている(密)宇宙の真理(海=悟り)を禅の修行によって開く、ということである。その昔、江戸中期(18世紀中頃)には寺門も興隆を極め、常時修行する者100名以上であったとされる。 /・・因みに、現在では山内に住する者 = 住職家族3名、ワン(犬)ちゃん2匹、計5名(!)・・正に隔世の感がありますが・・/

 それはさておき、現在は多くの修行僧に替わって、80名以上の幼児達が集い合う学舎となっている。これはこれで、時代の流れというものであろう。しかし、集まる人が成年僧から幼児に替わっても、この地、この場所に流れる精神というものは今でも変わらず「開海禅密」である。

 禅の密とは別の表現で言い換えれば、「不変の真理の世界」となる。もっと言い換えれば、実は全ての人の奥深くを貫き、全ての存在の中に普く満る宇宙の崇高なメカニズム = 「法」となる。そしてその最も尊い現れが私達のこころの中にある「真実のこころ」=「愛」である。それは、仏の世界、とか、天国とか、彼岸とかの言葉でイメージされる悟りの世界 = 苦しみを解脱した世界を満たす「空気」である。その「空気」の中では、全てが尊く、全てが尊び合い、想い合う、ので、「自分だけ」とか「自分さえ良ければ」という利己心に起因する「争い」や「戦い」や「憎しみ」や「恨み」「妬み」といった苦悩は存在しない。あるのは、自己と他との違いを認識しながら、それを超えた互いの繋がりをしっかりと尊び、助け合い、想い合い、学び合う、「同事」の精神である。

 自分と他人は別者ではなく、共通の「法」によってしっかりと繋がった「同事」の存在である。先祖を遡れば皆共通の先祖がおり、実は親戚であることが分かる。自分は他者によって限りなく支えられており、又、自分も限りなく他者を支える存在だ。だから、他者をけ落とし、自分だけ幸福になる、ということは宇宙の法則上、あり得ない。自分を愛することと、他者を愛することは実は「同じ事」。逆に他者を傷つけることは結局自分を傷つけることになる。自分と他者は「同事」の法によってしっかりと結ばれているのだから・・。

 曹洞宗を開いた道元禅師の教えである、この「同事」の理念は、幸せな世界への[道標]となるものだろう。当園では集団生活という環境の中で、他者を思いやるこの精神をしっかりと育んでいきたいと考えている。