建造物芳全寺内の史跡について

阿弥陀如来座像

鋳造(青銅製)は寛保2年(1742年)。

手の印相は来迎印(らいごういん)といって救いと導きの為に人々を迎えに来ている意を、

左手;摂取の印(仏の慈悲の光が迷い苦しんでいる人々を救いとる意を表す)

右手;召喚の印(智慧をもって衆生を招き、呼び寄せる意を表す)となっています。

県の指定文化財になっています。

 

元々は露仏で参道の南端(岩瀬街道寄りの地点)、西側にあった。明治35年台風被災、明治40年に山門の内、西側に移設。

平成23年、3.11東日本大震災で被災、倒壊。

平成25年に修繕事業竣工、現在の本堂前、西側に再移設されています。


総門

参道の一番目の門です(最も南の位置)。珍しい大谷石葺きの四柱門です。建造は享保年中(西暦1716年から1735年)。

明治35年台風被災、明治40年に屋根等を修繕、参道下より現在の場所に移設されています。

門額の記は「栴檀林」で、学問の聖地への入口であることを示しています。又、正面向かって右側に「不許葷酒入山門」(酒に酔った者はこの門から中に入ってはならない)の碑が建っています。

この碑は以前、山門前に設置されていたものですが、2005年に総門前に移設されています。

 

市の指定文化財になっています。


山門

参道の二番目の門です。銅板葺きの六柱門です。

建造は享保年中(西暦1716年から1735年)。

門額の記は「開海禅窟」で、禅の真髄を開く道場の入口であることを示しています。

 

市の指定文化財になっています。

明治35年台風被災、明治40年に屋根を改修しています。


鐘楼堂

入母屋瓦葺十二柱の堂です。

建造は大正4年、第二十五世 東海礒天大和尚により、建造されました。

当梵鐘の銘には「奉祝 天皇陛下聖壽無窮」「奉祭 歴朝天皇神霊尊儀」とあり、戦時中、金属類供出の危機に面したとき、当住の儀天和尚は「天皇陛下をお守りする為の鐘を供出せよとは、何事ぞ!!」と一喝し、断固としてこれを許さず、供出を免れたという逸話が残っています。

 

伝説に残る「蟠龍の大鐘」は残念ながら焼熔し、現存していません。


厄除延命地蔵尊

境内六地蔵檀の中尊に宝永3年(西暦1706年)に造顕された延命地蔵尊が祀られています。

第十世 岩照印叢大和尚の時代に厄除延命地蔵尊として祀られたといわれ、地元の方々の信仰を集めています。。