道元禅師ってどんな人?①
道元禅師=曹洞宗を開いたお坊さん
曹洞宗を開いたお坊さん「道元禅師」についてまとめてみました。
幼少期
正治2 年(1200)正月2 日(陰暦)1 月26 日(陽暦)に京都で生まれました。
8歳のとき、母を亡くし、その際の香の煙を観て、世間の無常を悟り、出家という大願を決意しました。その後13 歳のとき、比叡山にいる母方の叔父である良顕を訪ね、そのまま横川の般若谷千光坊に入り、翌年天台座主公圓(天台宗第70 世貫主)に就いて剃髮し、菩薩戒を受けて仏法房道元と名乗り修行をされました。
ちなみに
従来は久我通親を父親と見なされていましたが、現今は父親を源亜相(源通具)となすのが定説となりつつあるとのことです。
建仁寺へ
建保5 年(1217)秋、18 歳のときに建仁寺にて栄西禅師(臨済宗開祖)の弟子である明全に師事して仏道を求めてさらなる修行に励まれました。
ある時「宋の国に、お釈迦さまの坐禅を正しく伝える禅の教えがあるから、宋に渡って道を求めてはどうか」と、栄西禅師への入門を勧めた天台宗の公胤僧正から助言をいただきます。
そして、明全と共に、宋の国に渡ります。
宋の国へ:典座和尚との出会い
宋の国に渡る約1 ヶ月の船旅の道中、痢病を発症した道元は一心に観音経を唱え念じた結果、海も穏やかになり、痢病からも回復したという逸話があります。それによって仏教の教えに勤勉に臨むことで自らに降りかかる問題を解決できると実感されたと言われています。
無事に宋の港に到着した後、道元禅師に上陸許可が中々降りず船に留まっていたとき、ある老僧に出会います。老僧は修行道場の食事係(典座和尚)で、うどんに使う食材を買いに来たのです。道元禅師はその老僧と仏法の話をしたくて船に泊まるよう誘いますが、老僧は道場での食事の準備があるからと、堅く断りました。
道元禅師が「食事の用意は若い者に任せればいいのでは?」と言うと老僧は大笑いして「あなたは修行とは何であるかが全くわかっていない」と言い残して帰ってしまいました。
果たして老典座の言う修行とは何なのか?次回へつづく・・・
ちなみに
当時の日本仏教界には、日常の実践を重視する禅の考えは充分に伝わっておらず、したがってこの時点ではまだ道元禅師自身、食事の用意などは、修行の妨げになる面倒な雑事だと思っていたと考えられます。
まとめ
道元禅師とは#1
1200年京都生まれ
建仁寺にて修行する
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