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「合掌」の意味~基礎から学ぶ仏事作法~

 掌(たなごころ)を合わせると書いて合掌(がっしょう)と読みます。仏教徒にとって「合掌」は、寺院への参拝や仏事の時だけに行われる特別な型ではありません。例えば仏教国であるタイでは、人々の間で交わされる日常的な挨拶として、合掌が行われています。

「สวัสดีครับサワディーカップ(こんにちは!)」
「ขอบคุณค่ะコップンカー(ありがとう!)」

 私自身タイには実際に何度か訪問していますが、現地の人々と挨拶を交わすと、その優しい「言葉」、穏やかな「笑み」、気品に満ちた「合掌」が自然と組み合わさった挨拶に、えも言われぬ温もりを感じて心が洗われます。

 「合掌」には、型があります。右の手のひらと、左の手のひら。それらを「ピッタリと合わせる」形が合掌です。五本の指は中指に寄せて閉じ、中指の先端が鼻の前にくるようにします。

合掌

 「合掌」には、意味があります。右手が相手。左手が自分。相手と自分を「ピッタリと合わせる」ことが合掌の意味です。

 相手と自分を対立した存在としてとらえるのではなく、相手と自分を無関係な存在としてとらえるのではなく、相手を受け入れ、敬い、その痛み、苛立ち、苦しみや喜びを自分ごととして理解しようとする姿勢。その「慈悲心と和心」の象徴が合掌なのです。

 古今東西、国家も民衆も、自分の利益や立場を守るために衝突を繰り返してきました。また、貨幣経済の発達は、信じられるのは「お金だけ」「お金さえあればなんとかなる」と、自立という名の孤独を生み出しました。

 けれども、人間はどこまで行っても人間です。人の間でしか生きていくことはできません。生まれる時も誰かの世話になり、老いては誰かの世話になり、病んでは誰かの世話になり、死んでからでさえ誰かの世話になるのです。それ故に仏教では、エゴを振りかざし、独りで生きることを諌めます。

 そして生老病死の現実をしっかりと受け止め、依存でもなく、自立でもない、「相互依存」という生き方を推奨します。相互依存とは、互いに敬い、思いやり、助け合いと感謝を忘れない生き方のことです。相互依存を実現するためには、仏の教えに照らし合わせて、自己反省と自戒の念を忘れないこと。そのための型が、合掌です。

 「合掌」には力があります。私達の心を浄化し、人間関係に素直さと円満をもたらす力が秘められています。両掌のシワを合わせることから、しあわせ(幸せ)の型とも呼ばれています。

徒弟・玲音

どうぞ恥ずかしがらず、普段の挨拶にそっと「合掌」を添えてみて下さい。きっと平和と幸福が広がっていくでしょう。

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徒弟・荒木玲音

曹洞宗芳全寺徒弟/認定こども園せんだん幼稚園総務・保育教諭 コンサルティングファームでの経験を活かしたデジタル活用が得意 仏教を分かりやすく伝えるために日々勉強中です

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