道元禅師ってどんな人?②
宋国で修行の本質を悟る
曹洞宗を開いたお坊さん「道元禅師」についてまとめてみました。
前回までのお話
1200 年、現在の京都に生まれた道元禅師は、18 歳の時から建仁寺にて明全に師事して仏道修行に励みます。ある時宋に渡って仏道を求めることを決意した道元禅師はある道場の老僧(典座和尚)にに出会い、仏法の話をしたい道元禅師は「食事の用意は若い者に任せればいいのは?」と言うと、「あなたは修行が全く分かっていない」と一蹴されてしましました。
ショックを受ける
日常の実践を重要視する”禅”の考えが充分に伝わっておらず、この時の道元禅師自身、食事の用意などは、修行の妨げになる面倒な雑事だと思っていたのです。
この後、道元禅師は中国各地の道場を訪ね、修行を重ねます。
ある寺でこんな事がありました。
暑い日の昼間、腰の曲がった老典座が、杖をつきながら汗だくになって本堂の脇で海藻を干していました。見かねた道元禅師が、
「こんな暑い日ですから、誰か若い人にでもさせるか、せめてもう少し涼しい日にしたら良いのでは」と声を掛けると衝撃の言葉が返されました。
他はこれ吾にあらず 更に何れの時をか待たん
意味はというと、
自分に任された役割を他の者にさせてしまっては、それは自分の修行ではない。
今やるべき事は今やらなければいけない。人生の時間は刻一刻と過ぎ去っていく。繰り延べしている余裕はない。
修行の本質とは
この言葉を聞いて、道元禅師は修行とは、禅の心とは何たるかを悟ることになります。その後宋国のお寺を巡る中で、1225年、道元禅師が26歳のとき正師となる如浄禅師と出会います。
宋の国へ:典座和尚との出会い
宋の国に渡る約1 ヶ月の船旅の道中、痢病を発症した道元は一心に観音経を唱え念じた結果、海も穏やかになり、痢病からも回復したという逸話があります。それによって仏教の教えに勤勉に臨むことで自らに降りかかる問題を解決できると実感されたと言われています。
無事に宋の港に到着した後、道元禅師に上陸許可が中々降りず船に留まっていたとき、ある老僧に出会います。老僧は修行道場の食事係(典座和尚)で、うどんに使う食材を買いに来たのです。道元禅師はその老僧と仏法の話をしたくて船に泊まるよう誘いますが、老僧は道場での食事の準備があるからと、堅く断りました。
道元禅師が「食事の用意は若い者に任せればいいのでは?」と言うと老僧は大笑いして「あなたは修行とは何であるかが全くわかっていない」と言い残して帰ってしまいました。
果たして老典座の言う修行とは何なのか?次回へつづく・・・
まとめ
道元禅師とは#2
宋国にて修行の本質を知る
ついに正師如浄禅師に出会う
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