概要開基〜現在までの歩み

由来

芳全寺は天文14年(西暦1545)に下館第6代城主、後の久下田城主となる水谷出羽守正村入道(水谷蟠龍斎)によって建立されました。

開山は結城市小塙、乗国寺第5世の法嗣、威岩瑞雄大和尚で、現在まで転伝して27世となっています。

山号は蟠龍山と言い、これは正村入道の道号、蟠龍斎に因みます。寺号の芳全は下館第5代城主水谷晴持の道号、芳全軒によるものです。

宗派は曹洞宗に属し、寺格は常恒会といい、曹洞宗三格地の上席で、全国80檀林(今日の学校)の一つで別格寺にあたります。


沿革

天文十四年(1545年) 下館第6代城主、後の久下田城主となる水谷出羽守正村入道(水谷蟠龍斎)によって建立
慶長三年(1599年) 水谷蟠龍斎(75歳) 逝去
境内墓地内に水谷蟠龍斎の墓所がございます
貞享-元禄
〜延享-宝暦(1680-1760年代)
当寺第9世-12世の期間中、寺門は隆盛し、法堂・仏殿・山門・東西の学寮・禅室・庫院等悉く備わり荘厳の美を極め、当寺に安居する修行学僧は常に200名を数えたと記録されています。
現在当寺での修行中に亡くなった方の亡僧碑石が約90基ございます
宝永三年(1706年) 厄除延命地蔵尊 造顕
境内西入口の六地蔵壇の中央に祀られています
享保年中(1720-1730年代) この頃に、現存する総門・山門・弁天堂が建立される
寛保二年(1742年) 露仏 阿弥陀如来座像 鋳造
現在、本堂南西側に安置されています
文政三年(1820年)
天保元年(1830年)
明治十年(1877年)
三度の火災に見舞われる
総門・山門・弁天堂 等を除き、建物や仏具、寺宝 等は悉く焼失


伝説の「蟠龍の釣鐘」も焼熔しています。(明治十年)
明治二十三年(1890年) 本堂・庫院 再建
第二十四世 佛仙榮宗大和尚により再建されました
明治三十五年(1902年) 足尾台風により倒木 建造物等多数罹災
明治四十年(1907年) 総門・大仏・弁天堂 改修移設、山門 屋根改修
大正四年(1915年) 鐘楼堂 建立
第25世 東海礒天大和尚により建立されました
昭和五十七年(1982年) 本堂を瓦葺き屋根から銅板葺きに改修、庫院 改修
平成二十三年(2011年) 東日本大震災 罹災 大仏 倒壊、鐘楼堂 屋根 等 半壊
平成二十五年(2013年) 大仏(阿弥陀如来座像)改修、鐘楼堂 屋根改修工事 竣工

現在に至る