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芳全寺について

住職よりごあいさつ

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水谷蟠龍斎建立の寺
   蟠龍山 護国院 芳全寺

芳全寺は天文14年(西暦1545)に下館第6代城主、後の久下田城主となる水谷出羽守正村入道(水谷蟠龍斎)によって建立されました。

天文14年(1545)下館城主六代小谷出羽守入道政村が開基、結城市小塙乗国寺第5世の法嗣、威岩瑞雄大和尚を請じて開山されました。
現在まで転伝して27世となっています。

山号は蟠龍山と言い、これは正村入道の道号、蟠龍斎に因みます。寺号の芳全は下館第5代城主水谷晴持の道号、芳全軒によるものです。

宗派は曹洞宗に属し、寺格は常恒会といい、曹洞宗三格地の上席で、全国80檀林(今日の学校)の一つで別格寺にあたります。

江戸時代、貞享、元禄(1684)~延享、宝暦(1763)年間には、当山安居の修行僧が常時200人止住し学問研鑽の道場として興隆しました。

御朱印二十石境内三千百四十八坪、その他宅地、田畑、山林等約十七歩を有し、七堂伽藍、東西の学寮、禅室、庫裡等完備した荘厳を極めたと伝えられています。

文政3年(1820)、天保元年(1830)、更に明治10年の三度に渡る災火で堂塔伽藍を消失し、現在の本堂は明治23年に当山24世佛仙榮宗大和尚によって再建されました。

総門、山門は亨保年中創建で町指定文化財、露座の丈六金銅阿弥陀如来は寛保二年(1742)鋳造のもので県指定文化財となっています。