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教師と僧侶 50代からの挑戦 前編

徒弟・玲音

こんにちは。芳全寺徒弟の荒木玲音(あらきれおん)です。
お坊さんが聞いてみるインタビュー「echo」
今回は市貝町海福山慈眼寺の住職である國井弘紀師へインタビューを行いました。

私の修行の同期であり、当時の修行僧の中で最高齢である53歳で修行を満了されました。元々高等学校の社会科の教員として長らく教鞭をとられた後に、一念発起して修行の道へ進まれました。

左から:荒木玲音・國井弘紀師

修行のきっかけ

國井弘紀師(以下、弘紀

平成三年に当時大学院生だった私は真岡高校の社会科非常勤教員としてキャリアをスタートさせました。その後、盲学校や博物館研究員、教育委員会等様々な経験を積ませていただき、最近二〇年ほどは県内の高等学校で社会科の教員として勤めていました。働きながら二〇代で得度※1し、三〇代半ばで法戦式※2を芳全寺さんで行わせて頂きました。このように多くの僧侶の中でも私は特に遅いスタートでした。玲音さんはいつごろ得度されたのですか?

荒木玲音(以下、玲音)

私は二〇〇七年に得度したので中学三年生くらいでしたね。

※1得度:正式な作法を通して、僧侶に相応しい姿となることによって、仏のみ教えを信じ、仏の徳を身に具えること。得度式という儀式を通じ、正式に僧侶の仲間入りをするいわば僧侶のスタートライン。

※2法戦式:修行僧のリーダー首座として、修行僧と激しい問答を交わし合う儀式。首座が法を戦わせるため「首座法戦式」と呼ばれる。首座はこの法戦式を終えると、正式に「座元ざげん」という位に就く。

弘紀

そうですよね、だいたい皆さん一〇代で得度されますよね。私の場合、先代住職(令和四年一月に御遷化)の身体が悪く、修行に行く時には既に入院状態でした。また上の子供の就職が無事に決まったことあり、「今しかない」というタイミングで修行に行くことを決意しました。

道場に上がる前に覚悟が試される

修行で得たこと

玲音

それが私と弘紀さんの出会いでしたね。同じ日に上山して心強かったです。修行中も事あるごとに「楽しい」と仰っていた弘紀さんの姿が印象的で思い出されます。弘紀さんはどんなに怒られても元気に「はい!」と大きな返事をして、絶対にめげなかったですよね。

弘紀

そうですね笑 掃除や作務は好きですので修行は楽しかったです。毎日のように怒られ続けていましたが、「大人になってから怒られることってないよな。とてもありがたい。」と思っていました。普段仕事でも年齢を重ねるほど怒られなくなってきますし、自分の行いを 客観的に捉える良い機会だと考えていました。そしてこの修行を通して何事も一生懸命やることの大切さを学びました。お経本の文字は老眼で見えにくいし、中々お経は覚えられないし、大変なことも多かったですが、毎日毎日、目の前の修行を一生懸命やっていたら、日々楽しくあっという間に半年が終わっていました。

作務も大切な修行である

玲音

 指導役の先輩僧侶たちも修行道場の中の役割を全うしていた訳ですものね。あのときの厳しい指導があったから今があるのは理解しているのですが、当時は少しイラッとしたことも正直ありました笑
 また若手の僧侶にとっては、そんな弘紀さんの存在は精神的な柱でした。自分たちより遥かに年上の方が、誰よりも真剣に修行に臨まれているのを見ると「自分たちが音を上げていられない」と鼓舞していました。

弘紀

 私も若い人が頑張っているのだから、負けていられないぞ!という想いがありました。あの修行では世代を超えて、お互いに助け合いながらできたことが本当に良かったと思います。

修行を終えて

玲音

 弘紀さんの場合、お師匠さんのこともあり修行を終えてからが怒涛の日々だったようですね。

弘紀

 十月に送行(=修行を終えること)し、翌一月に亡くなりました。その間周りのお寺さんに助けて頂き、なんとか住職の立場を引き継いで今に至ります。先代住職はかつて市貝町の町長でした。しばらく身体が悪い状態だったので最後にあまり話をすることができませんでした。悔やまれることと言えば、そのことです。もっと話を聞きたかった、地元市貝のことを教えてもらいたかったと今になって思います。 

徒弟・玲音

つづきは次号の寺報にて お待ち下さいね

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徒弟・荒木玲音

曹洞宗芳全寺徒弟/認定こども園せんだん幼稚園総務・保育教諭 コンサルティングファームでの経験を活かしたデジタル活用が得意 仏教を分かりやすく伝えるために日々勉強中です

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